他のじゃ、ヒかれるもんなぁ、多分。w
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
毎度お馴染みポジトークのネットゲリラさんとこ。
なんつーか、米欄含めて必死だなぁ、と。^^; これさえなければ、このサイト好きなんだけどなあ。 普通、一日に複数以上のポストが連日続くのは、職業ブロガーだと思っているんですけど。 普通に働いて、このご時世なんでサビ残やって、帰りに一杯やって帰ったらもうブログ書く時間なんてない私からすると。(笑) 与党第1党が最高と信じている訳ではありませんが、一番駄目だった頃に比べると、首班は選挙で選んでるし、利権で食ってた連中は追い出されたり影響力が減ってきて、透明度が上がってると思います。 片や野党第一党はというと、金権政治の権化が親玉で、密室で首班が不透明なプロセスで決まり、党の基本方針の中で、自国の一部に対する統治権を放棄するような公党としてあるまじき方針を明記しているというなんともな代物です。 マスコミの華麗なスルーで野党の襤褸が見事に隠されていますが、段々鍍金が剥がれてきているような気がするのですが・・・ まぁ、とにかく、8/30に向けて公職選挙法に引っかからない程度に好きなことを書いていくつもりです。^^; では、また。
分類的にはPolitocsにしても良いんでしょうけど、自分語りなので取敢えずその他分類に入れときます。
祖父は明治生まれ。比較的厳格で、食事時に背中が丸まっていると容赦なく拳骨を食らわせるような人でした。 私は父を早く亡くしたので、幼少時からこの母方の祖父を父代わりにして育ちました。祖父から見ると孫と言うより一番下の子供のような感覚だったのではないかと思います。 余り人付き合いも得意ではなく、気の合う仲間と碁や将棋を打つのが楽しみだったようです。下戸だったので酒の席での付き合いも苦手のようでした。ただ、人が集まるのは好きだったようで、正月や盆に親戚一同集まってワイワイやってるのを、ビール1杯で真っ赤になりながらニコニコ笑って見ていたのを思い出します。 祖父は、地元ではそこそこ大きな農家の8男で、下から2番目だったと言うことです。地元では名の通った家で、先代は町長をやったこともあるということでした。 当時としては珍しく、8男なのに朝鮮の水原高等農林(現ソウル大農学部)を出ていますので、当時としてはインテリの部類と言えるのでしょう。 本来招集されないはずの40歳近くになって召集され、ソ満国境を護る陸軍部隊に配属されました。 直属の隊長は士官学校出たての世間を何も知らない若造で、かなり苦労したようです。 終戦間近になって、部隊長の気配りで「あんたは年嵩だし家族もいるから」と済州島へ配転になり、任地につく前に終戦を迎え、家族とは別々に引き上げてきたと言う話でした。 復員してからは、中学校の理科の教師になり、着れなくなるまで軍服で教えていた名物教師だったと言うことです。 その後、結核を患って教師を辞め、恩給生活をしていました。 そういう経歴を持っているので、かなりのアンビバレンツを内包していたのは間違いないと思います。 その祖父は、16年前に87歳で世を去りました。好きな庭弄りをやって家に上がろうとしたその時にポックリと逝ってしまったということです。 心臓だったのか、痰が詰まった窒息だったのか、分りませんが、さほど苦しまずに逝ってくれたようなので、残された側も少しは気が楽でした。 長くなってきたのでここで一応切ります。 次は、祖父から教わったことを中心に書いていきたいと思います。 では、また。
司馬遼史観と俗にいう、「明治は偉かった、大正昭和と劣化して戦前は最低」と言う考え方があり、私自身もこの間までそう思ってました。
ノモンハンが典型的で、硬直化した陸軍がアホなことやって戦力の逐次投入した挙句ボロ負けした、それを教訓としなかったのがその後の大東亜戦争の敗因だと。 司馬遼太郎自身が参戦し現地を知っていたからこそ説得力があると言われていたこの話。最近怪しくなってきたようです。 あまり当てにならないWikipediaの記事でも、「引き分けと見てよいとの意見もある」と言う記事があるくらいで、ボロ負けしたわけでもなく、日ソ互角の戦いだったと考えてよいのではないかと思います。 この記事だけを見ても、航空機と戦車の損耗率では圧倒的にソ連側が高いので、日本有利と言う解釈もできるのではないかともいえます。 特に人員にして10倍の敵を相手にして1歩も引かなかったというのは、乱暴にランチェスター流に考えると戦力差100倍にあたる訳で、そう考えると「関東軍は諸悪の根源で無能なタコ」説には疑問が起きます。 そうは言っても、統帥権を盾にとって軍が暴走し、シビリアンコントロールを効かせられなかったこと、コントロールすべき政治そのものが党利党略に走って迷走し、最終的には大政翼賛会に集約しなければならない状態になったことなど、確かに拙いところはありました。 が、当時の他の国を見てもどこも似たようなもので、国民一致団結してびしびしシビリアンコントロールしてきっちり戦争していた国なんてありません。 大体、明治時代に維新の元勲がご意見番として天皇陛下を直接補佐する体制を作ってしまったが故に、その明治の元勲がいなくなった途端、残った体制の弊害が出てきた訳で、「明治の人たちが偉かった」からこその問題なんですけどねぇ。^^; 別記事に書きますが、私は戦前戦中戦後を直接経験した祖父から、戦前も戦後も何も変わっていないことを良く聞かされていました。 日教組教育にどっぷり浸かっていたガキの頃は「そんなことはないだろう」と思っていましたが、成長して色々な本を読み、実社会に出てみると、「成る程、祖父のいう通り、別に何も変わってないじゃないか」と思えるようになりました。 戦前、最も国民を戦争に煽ったのが朝日新聞で、戦後最も政府を叩いたのも朝日新聞です。一見、立場が逆転しているように見えますが、実は「自分をエリートと思っているマスコミが、上から目線で国民を自分たちの思う通りにコントロールしようとして自爆する」という構造は全く同じです。 所詮、赤新聞の癖に何思い上がってるんだろう。(笑) 今度こそはマスコミの自爆に巻き込まれたくないものだと考えています。 投票権(参政権)は大事なものですよね。子供の未来を考えて1票を投じたいものです。 では、また。
ポジショントークばりばりのネットゲリラさんとこ。
この所、麻生さん叩きがなりを潜め、お塩絡みばっか。 加えて、社内吊りから一斉に「みんすまんせーじみんおわた」記事が消え、ポチポチと兄ぽっぽ批判記事が。 1週間前くらいの朝日新聞チラ見だけど、自民のマニフェストだけ叩くのかと思ったら、「みんすもじみんも財源考えてね~よ」的な記事が。 一体何が起こっている?
まずは、自分の立ち位置を明確にしておきたいと思います。
基本的には、右だろうと左だろうと構わないのですが、後の世代に明るい未来を届けたいと祈念するものです。 自分自身は、団塊と呼ばれる世代の少し下で、シラケ世代と呼ばれた辺りの元祖オタクです。 「お宅」と言う2人称を、多分初めて野郎の通常会話の中で使い始めた世代だと思っています。 小中高大と、日教組やマルキスト教授などの強い「日本は悪かったんだ」洗脳教育を受け、「世界の平和のためなら、日本と言う国が滅んでも、世界の中で覚えてくれる他の国民があって歴史に残れば良いじゃないか」とか思ってた時期もありました。 社会に出て世の荒波に揉まれ、戦前から生きてきた祖父などとの会話を通じて、自分が考えてきたことへの疑念が大きくなり、更にネットでの実際の歴史記録やそれを整理して説明してくれる人たちの力を得て、何十年にも亘る洗脳が解け、おかしいことをおかしいと思える感覚を取り戻すことができました。 今、企業に勤め、家族を支えなければならないものとして、子供に明るい未来を残してやりたいと思っています。 そのためには、我が国がちゃんとした国として世界と互していく必要があると考えています。 アメリカ追従一辺倒でもなく、特アべったりでもなく、我が国の国益を第一に、状況に応じ是々非々で対応する必要があるのでしょう。 基本的なスタンスを以下に纏めます。 ・我が国で自分や家族、中でも子供が生きていくのに障害を感じない社会が欲しい。 ・基本的に保守的だが、過度の慣習化は排除したい。 ・我が国のコアコンピタンスとも言える皇族をつぶす動きには反対。 ・この状況下での持続可能な発展を提唱する政治家を応援する。 と言った感じです。 色々と不都合なネタもあると思いますが、よろしくお願いします。 では。 |
カレンダー
フリーエリア
最新コメント
[09/16 むかしあにまる]
[09/16 むかしあにまる]
[09/15 mugi]
[09/15 mugi]
[08/08 むjかしあにまる]
最新記事
(05/11)
(03/25)
(12/31)
(07/05)
(07/09)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
むかしあにまる
性別:
男性
自己紹介:
かなりくたびれた親爺です。
そのくせ粉雪歌いますが。(笑) こちらでは、主に政治ネタを扱います。 よろしくお願いします。
ブログ内検索
|